自分らしく生きる

あなたにとって英語は「喉に刺さった小骨」ではないですか?

Hello, 英語コーチの施永薫です。

  • 「英語って大事ですよね」
  • 「英語って話せたらいいですよね」

みなさん、口を揃えてそう言います。

正直、「英語なんて別にできなくてもいいですよね」っておっしゃる方に出会ったことはほとんどありません。(私が英語を仕事にしていると知っているからでしょうか?!)

でも、たいてい次にくるセリフは

  • 「学校では英語を学んできたんですけどね」
  • 「学生時代、英語は得意な方だったんですが」
  • 「実は英文科を出ているんです。全く英語が話せなくて、英文科を出ているということをむしろ隠したいくらいなんですけど」

なんだかスッキリしない感情をみなさん、英語に対して、抱いているようなんです。

分かります。

だって、一生懸命勉強して、頑張ってきたのに、全然英会が話せない自分に気づいちゃったから。

  • 今までやってきたのはなんだったんだろう?
  • テストの成績は良かったのに何が間違ってたの?
  • 私には向かないってことかな。
  • 留学してないから話せるわけないよな。
  • 今さらだしな・・・

どんどん気持ちは落ち込みます。

英語が話せなくても幸せに生きているし、話せたら可能性は広がるのかもしれないけど、話せない今が、ものすごく不幸なわけでも、ものすごく不自由なわけでもない。

頑張ってダメだった過去の記憶も、新たな挑戦を思い止まらせようとしてくる。

そうなんですよね。別にやらなくても幸せ。

でもね、学校を卒業して何年も何年も経った今でも、

  • あんなに勉強して身にならないなんて
  • 英語が話せたらな
  • 英文科を出たのに話せないなんてな

そういう思いが心のどこかにいつもあって、喉に刺さった小骨のようにあなたの中にあるんだとしたら、その小骨って一生抱えたままでいたいものなのでしょうか?

何かを飲み込む度にチクリ、チクリと存在感を出してくる小骨。

それをとったら、絶対に食事がもっともっと楽しくなりますよね。

気持ち軽やかに、心から味わうことができますよね。

取り除かなくても確かに命に別状はないし、ずっと付き合っていくこともできるでしょう。

でも、本当の魚の小骨は放っておいてもポロッと取れることがあるけど、英語の小骨はそのままにしておいたら永遠とそこに存在し続けるでしょう。

だって、今まで…あんなにやったのに…

そんな思いは一旦おいて自分の心に問いかけてほしい。

その小骨、刺さったままこれからもずっと生きていくの?

小骨をとる努力を本当に諦めちゃっていいの?と。

諦めるには、この先の人生、長すぎやしませんか?

今までのやり方が合わなかったからといって今後もうまくいかない、ということにはなりません。

今までがうまくいかなかったのであれば、むしろ違う形を試す時なのかもしれません。

英語が話せなくても生きてはいける。

でも小骨を放置したままの人生、本当に後悔しないでしょうか?

英語に立ち向かうことは、英語力だけではなく、

胸の底に押し込めていた自分の思いに対峙し、乗り越え、自分にもっと自信を持つきっかけなのではないでしょうか?

チクチク残った小骨なんて、ささっと取って、

人生をより軽やかに

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